第1講 順序体
実数とは?
以下の記号を確認しておく:
$\mathbf{N}$:すべての自然数からなる集合
$\mathbf{Z}$:すべての整数からなる集合
$\mathbf{Q}$:すべての有理数からなる集合
$\mathbf{R}$:すべての実数からなる集合
$\mathbf{C}$:すべての複素数からなる集合
本講座の目標は「実数とは何なのか」を明らかにすることである.
純粋に数学的な観点からは,そのためには「実数の定義」をここに記しさえすれば済む話だとも言えるが,そう結論を急がずに,我々は
「有理数とは何なのか」については十分に知っている
という立場に立って,有理数の集合 $\mathbf{Q}$ と実数の集合 $\mathbf{R}$ とは何が共通していて何が違うのかを観察し,然る後に実数を定義するという手順を踏む.
数学において,未だ定義されていないものについてその性質を観察するというのは奇妙なことに思えるかも知れない.
しかし,実際に多くの人は「実数についてかなりのことを知っているが,実数の定義なるものは知らない」という状況にあるのではなかろうか.
それは特段おかしなことでもなく,仮に実数の定義を知らないとしても,だからと言って例えば微分や積分という概念を理解できないということは決してない.
なので「定義などどうでもよい」とは言い過ぎであろうが,本講座では「実数を定義すること」を目標としつつ,定義すること自体よりも,それを通して「実数とはどのようなものなのか」をできるだけ明快に把握することに主眼をおく.
$\mathbf{Q}$,$\mathbf{R}$ には共通にあり,$\mathbf{N}$,$\mathbf{Z}$,$\mathbf{C}$ にはない性質は
の二つである.
前者のような集合は
体と呼ばれ,後者のような集合は
順序集合と呼ばれる.$\mathbf{Q}$ と $\mathbf{R}$ のようにこれら両方の性質をもつ集合は
順序体と呼ばれる
体
加減乗除が定義されている集合を
体という.
$\mathbf{Q}$,$\mathbf{R}$,$\mathbf{C}$ は体である.$\mathbf{N}$,$\mathbf{Z}$ は体ではない.
例えば,$\mathbf{N}$ においては $1-2$ のような演算ができないし,
$\mathbf{Z}$ においては $1\div 2$ のような演算ができない.
対して $\mathbf{Q}$ においては
任意の $p,q\in\mathbf{Q}$ に対して
$p+q,\ p-q,\ pq\in\mathbf{Q}$,$q\neq0$ ならば $\dfrac{p}{q}\in\mathbf{Q}$
が成り立っている.$\mathbf{R}$,$\mathbf{C}$ でも同様である.
もう少し正確に言うと,体とは和と積(加法と乗法)が定義されていて
-
和,積に関する交換法則・結合法則・分配法則が成り立つ
-
加法単位元 $0$ と乗法単位元 $1$ が存在し,$0\neq 1$ である.
-
任意の元の加法逆元が,$0$ でない元の乗法逆元が存在する
ような集合のことである
詳しく!.
つまり,以下が成り立つ.
-
和に関する交換法則
$\forall x,y\in X,\ x+y=y+x$
-
和に関する結合法則
$\forall x,y,z\in X,\ (x+y)+z=x+(y+z)$
-
加法単位元の存在
$\exists 0\in X,\ \forall x\in X,\ x + 0 =x$
-
加法逆元の存在
$\forall x\in X,\ \exists(-x)\in X,\ x+(-x)=0$
-
積に関する交換法則
$\forall x,y\in X,\ xy=yx$
-
積に関する結合法則
$\forall x,y,z\in X,\ (xy)z=x(yz)$
-
分配法則
$\forall x,y,z\in X,\ x(y+z)=xy+xz$
-
乗法単位元の存在
$\exists 1\in X,\ \forall x\in X,\ x1 =x$
-
乗法逆元の存在
$\forall x\in X\backslash\{0\},\ \exists x^{-1}\in X,\ xx^{-1}=1$
-
$0\neq 1$
四元数体(
問題6)のように,積に関する交換法則が成り立たない「非可換体」というものもあるが,本講座では特に断らない限り「体」というときは積に関する交換法則が成り立つものとする.
順序集合
集合 $X$ が
順序集合であるとは
$\forall x\in X,\ x\le x$
$[x\le x'\ \mathrm{and}\ x'\le x]\ \Rightarrow x=x'$
$[x\le x'\ \mathrm{and}\ x'\le x'']\ \Rightarrow x\le x''$
を満たす関係「$\le$」が定められていることをいう.さらに
$\forall x,x'\in X,\ x\le x'\ \mathrm{or}\ x'\le x$
が成り立つとき,$X$ は
全順序集合であるという.
-
$\mathbf{N}$,$\mathbf{Z}$,$\mathbf{Q}$ は通常の大小関係により全順序集合である.このことは既知とする.
-
$\mathbf{R}$ も全順序集合であるが,当面我々は $\mathbf{R}$ というものを(まだ定義していないので)知らないということにする.
-
$\mathbf{N}$ のすべての部分集合からなる集合 $\mathcal{P}(\mathbf{N})=\{\,A\,|\,A\subset \mathbf{N}\,\}$ に
$A\le B\ \stackrel{\mathrm{def}}{\iff} A\subset B$
という順序を定めるとき,$\mathcal{P}(\mathbf{N})$ は順序集合であるが全順序集合ではない.
例えば,
$\{1\} \le \{1,2,3\}$
$\{\,4m\,|\,m\in\mathbf{N}\,\}\le \{\,2m\,|\,m\in\mathbf{N}\,\}$
などが成り立つが,
$\{1,2\} \le \{2,3\}$,$\{2,3\} \le \{1,2\}$
はいずれも成り立たない.
慣習に従い,$x\le y$ のことを $y\ge x$ とも書く.また,「$x\le y\ \mathrm{and}\ x\neq y$」のことを $x >y$ あるいは $y < x$ と書く.
順序体
体 $X$ が
順序体であるとは,次の条件が満たされていることをいう:
-
$X$ は全順序集合である.
-
体としての演算と全順序が両立している.すなわち
$x \le y\ \Rightarrow\ [\ \forall z\in X,\ x+z\le y+z\ ]$
$[\ 0\le x\ \mathrm{and}\ 0\le y\ ]\ \Rightarrow\ 0\le xy$
が成り立つ.
以後,本講座においては
$\mathbf{Q}$ は順序体である
ことは既知とする.しかし
$\mathbf{R}$ というものはまだ知らない
という建前で議論を進める.
とは言うものの,実際は多くの人が実数について知っているわけで,その知識に基づけば $\mathbf{R}$ が順序体であることもすぐにわかるであろう.
しかし敢えてそれらの知識を一旦忘れたつもりになって(本当に忘れることは薦めない),まずは $\mathbf{Q}$ に代表される「順序体」が一般にもつ性質(その性質はゆくゆく $\mathbf{R}$ ももつことになるはずである)を見ていくのである.
一般の順序体においても
$1+1=2,\quad 1+1+1=3,\quad 1+1+1+1=4,\ \ldots$
などと表記する.また,$x\neq0$ のとき
$x^{-1}=\dfrac{1}{x},\quad x^{-2}=\dfrac{1}{x^2},\quad x^{-1}y=\dfrac{y}{x}$
などと表記する.
これらの規約により,任意の順序体は $\mathbf{Q}$ を(もちろん $\mathbf{Z}$,$\mathbf{N}$ も)部分集合として含むと考えてよい.
例えば $(1+1)(1+1+1)^{-1}$ を有理数 $\dfrac{2}{3}$ と同一視するのである.
正確には「任意の順序体は $\mathbf{Q}$ と順序同型な部分体を含む」と言うべきであろうが,$X$ として一般の順序体を考えている場合でも $\dfrac{2}{3}\in X$ などと書いて混乱は起こらないであろう.